蟻のように働け

みなさんこんにちは。

世間は少しは明るくなってきて、ロックダウンの霧も少しは晴れてきたような気もしますね。当初とは違ってこの危機をチャンスに変え、以前よりむしろビジネスが上手くいっている方の話も割とよく耳にするようになってきましたが、弊社は相変わらず迷走を続けております。迷走するのが平常運転とも言えます。
近頃は会計士のコンサルタントが入るようになりまして、生産効率や営業手法などの見直しも行われて多少は改善の兆しも見えては来ましたが、今回はそれにちなんだお話です。

 

ある時マネージャーとスケジュールについて相談をしていて、
「コレとコレは今週中にこなしてくれ」
『出来なくはないけど手間と必要性を天秤にかけると意味があるの?できれば別の事を優先させたいんだけど?』
というような軽い問答になりました。

彼と私はもう何年も阿吽の呼吸で一緒に働いているので、こうしたことで意見が割れる場合は、何かしら良くない理由が背後にあります。聞けば、例のコンサルタントを含めた「首脳会談」で、労働時間と生産物の見直しをしているとのことでした。その計算によれば、今週は完成品の数が少ないらしい。

 

『いやいや、中間管理職である君がボスと我々との間で板挟みになってしまうのは分かる、だがこの会社の規模を見てみろ。会議の場に居るのは4人…5人?その間もモノを作ってるのはこれまた5人くらい??まるで司令官だらけで兵士が居ない軍隊みたいなモンだ。しかも作戦が間違ってる、というね。』
「それは分かっちゃいるんだけどね、わかり易い理由がないまま今週の予定通りの成果も出ないとあっては、こっちも反論のしようが無いからな」

 

…と、こうしたことがキッカケであらためてこの問題を考え直してみたんですが、私の仕事に単純労働時間と生産量といった機械的な考え方が釣り合わない理由は主に二つあることに思い至りました。全く興味無いかも知れませんがここまで読んだなら最後までお付き合い下さいませ。

 

 

さて一つ目は、生産する商品の絶対的な個数が少ないということです。

例えば、「普通に滞りなく終わればこの作業はおよそ3時間」というような仕事があるとして、なんらかのミスが生じてそれが作業の仕上げ段階で見つかった、ということが起きたとします。
すると最初の3時間が無駄になり、修正する作業にまたしばらくかかり、最後にもう一度もとの作業をやり直す、というので3時間かかります。

つまり最低でも2倍以上の遠回りをするわけで、3つ作れていた筈のものが結果として1つしか作れないということになります(商品の性質上、完成するまで気づきにくいミス、というのが意外とあるのです)。

悲しきかな、これは生産管理の問題というよりはむしろ分の良いギャンブルをする事に似ています。

1/2の確率で2万円貰えるけれども1/2の確率で1万円失う、というようなギャンブルです。1回しか出来ないならただのハイリスクハイリターンの賭けですが、100回出来るなら確率の高い投資になる。利益率も商品単体ではなく100機200機分の売り上げをその数で割ってみて初めて実情が分かるのだと思います。

もう一つ実働時間と言えば、ずっと以前のコンピューターシステムの開発計画の話が思い出されます。初期段階ではヒアリングだの設計だのとのんびりやっているようにしか思えないんですが、工程が進むにつれて時間的にも押してきて、最後は不眠不休になる…といった具合になるんです。
予めそれぞれの作業工程の目星をつけることは出来ても、誰がどこで手を抜いたりミスをするということを正確に見積もることは出来ないので、その皺寄せは全部最後にいくということですね。
私達昭和の人間は、こんなことは小学校の夏休みの時から知っていたような気がします。

そんなわけで、過去2~3年の総労働時間を出荷した商品数で割れば現実的な進捗は計算できる筈で、週単位の成果で一喜一憂する必要は無いはずです。一日一歩、三日で三歩というようには行かないからです。ちなみにこの手の考え方をボスに理解させるよりは蟻に芸を仕込む方がまだ簡単ですが。

 

 

二つ目はインセンティブが無いことです。

この文章を読まれている方は、どちらかと言えばマネージメントや経営をする立場に居られるものと思われますが、私のようなプロレタリアートに押し込められた人間がどのような利害で動くのかを時折思い出していただくのは悪いことではないでしょう。

ネットで読み齧った例ですが、とあるベテランの錠前屋さんがものの数分で鍵を開けたら、「こんな短時間の作業なのに正規料金を取るのか?」とクレームされたことがあったそうです。一方、同僚の新人の場合は四苦八苦した挙句に3時間もかかってやっと解錠出来たんですが、お客さんからはチップさえ貰えた、と。ハタ目には解錠の難易度は分からないし、時給に換算したら何件こなそうが変わらないので、そのベテランさんものんびり仕事をするようになったそうです。

我々の仕事も正にこの例と全く同じで、熟練すればするほど品質と生産性が上がるだけで社員には還元されないシステムなので、稼いだ時間でより多くの仕事をこなす理由が全くありません。私の場合は余った時間は開発系の仕事をしたり、作業効率を上げるための小道具を作ったりと自分の興味がある方向で使っておりますが(これはリーダーのブログで拝見した「時間を3分割する」という話と似ていますね)。いずれにしろ、自分の生産性を上げるのは努力しますが生産量を増やすことはしません。

オーストラリアには、何があっても5時キッカリに全てを忘れて職場を出るホーマー・シンプソンのような働き手もザラに居ますし、そういう人でも成果を問われず報酬があるというのも生活の安定という点では大事なことです。

ですが、働き方が目に見えて多様化し始めた昨今では、こうした既存のシステムが上手く機能しなくなっているというのにはみなさんも異論がないかと思います。

 

さて今回も脈絡の無い文章になってしまいましたが、以上が私が「時間を使うにしても人を使うにしても、結果(もしくは目指す終着点)から考えた方が実態に即していますよね?」という考えに至った経緯なのでした。

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